思索の庵 9
"The hermitage of the speculation"
 書物の中で、感動を受けた言葉や章を、ご紹介させていただきます。
 少しづつご紹介し、必要なら感想も述べさせていただきます。
 
     
                           メール 待ってます
貴方は人目・アクセスカウンター 番目のお客様です。ようこそ! ようこそ!

 「何故か、考えさせられ、そして、安堵し癒されるのだ・・。」 そんなページを目指したい・・・・・。 

 「ご案内」 
編集・管理人: 本 田 哲 康(苦縁讃)


******************
9 ”日本人の「こころの背骨」”を考えるの巻     2月11日 
******************
T 敗戦。そして”日本人の「こころの背骨」”
               **********************************************
  『自我経』 コンタクト・レンズ
               
川内康範(かわうちこうはん)
十六年前連合軍という医師が
 カルテに患者名をドイツ語で書きこんだ
日本という奴
(やつ)である
 医師は麻酔
(ますい)をかけずに
  いきなり眼球にメスを突っ込んだ
寝台にハラハラと
   季節はずれの櫻
(さくら)が散った

日本の浪花節
(なにわぶし)
   殺さずに可愛がってやれ
医師たちのなかにキリストがいた
 犬と猿の民主主義
   トルーマンもスターリンも
    外科手術の権威者であった
 「どちらをお好みか」
期せずして二人はききあった
 「どちらでも」
えぐり取られた日本の眼玉
  その後に双つの穴ができた
トルーマンは
  右の穴に星条旗を立てた
スターリンは
  左の穴にホースを突っ込んだ
旗を立てずに
 脳髄
(のうずい)の中にある液体を流し込む

それが彼らの政治であった
幾年かしてスターリンは死んだ
同志は眼球をえぐらずに
 柩
(ひつぎ)に唾(つば)をかけた
  トルーマンのメスも錆
(さ)びた

眼を失った日本は
 右と左に
  度の違うコンタクト・レンズをつけて
   眼球のあるふりをしている











川内: 当時の日本は王道を崇拝していた。
  これをアメリカは見事に逆手にとって、
 敗戦国・日本の精神をまるで「イカの背骨」を
 抜くように抜いてしまった。
  それに加担したのは、積極的であれ
 消極的であれ東京裁判における日本の
 マスコミですよ。
  戦争というのは、勝者も敗者も同等の
 事情と責任と非がある。
  それなのに勝者が敗者を裁く裁判などは、
 前代未聞、あたかも人民裁判のように
 一方的な判決を下し、日本人の伝統的な
 頭脳と勇気、度胸を徹底的に挫こうとした
 占領軍の手先になって国民を洗脳したのは、
  まぎれもなくマスコミだと
 おれは断じてはばからない。
        
井原:
いやむしろ日本人の「こころの背骨」は
 ますます軟弱になり、もはや日本人としての
 誇りとか伝統なんか放棄してもいい、
 見掛けだけの幸福と自分さえよければ
 それでいい、まったく勘違いの劣悪な
 自由でも、自由なんだからいいや、
 という具合です。
 

注:
 
川内康範(かわうちこうはん 1920〜2008
  作家・脚本家・作詞家・政治評論家
(田中・福田・鈴木・竹下等歴代総理大臣の顧問役)、「月光仮面」シナリオ、歌謡曲「誰よりも君を愛す」「おふくろさん」等。

  
 
私は、戦争を知らない。
 母親の背におんぶして、母親と共に逃げ回った事も、聴いてみて知った単なる知識でしかない。

 しかし、この詩は理解できる。

 もう還暦をすぎた。いろんな人生模様を眺めてきた。

 ここには、検証すべき深い意味を含んでいる。

 『大学なんぞに行ったら”利口馬鹿”になる!』と、祖父と祖母達に反対された。
 ・・・・が、親や家族の目を盗むように、受験のための密やかな努力をしながら、祖父母のこの声が脳裏から去ったことはなかった。

 村には村の・・、百姓には百姓の・・・・、「家」には家の哲学・主張があった。
 それは確かだった。

   
           ・・・苦縁讃

                                      
U 「こころの背骨」とは何だ?!

原訳
「法句経」

スリランカ仏教界長老

A・スマナサーラ氏
 人生をマラソンに例えるならば、まさに目隠しをしたまま突っ走っているようなものです。
 とにかく走らなければならない。

 けれども目隠ししているから、
 ゴールがどこにあるのかもどこまで走ったのかもわからないという状態です。
 だから納得がいかずに不安なのです。

 それでもわたしたちは何かに急ぎ立てられているかのように、
 いつまでも走り続けてしまいます。
 これが実は生命というものの本質なのです。

 生命というものは、いつもなにかをさがしています。
 いつもどこかに向かって走っているのです。
 なにもしないでいると苦しいのです。

 不安でたまらないので、とにかく何かをしようと動いています。
 
目隠ししているようなもの。右往左往しながら、・・・・・、しかし、国にはそれぞれに確個とした何かを持ち、地域や個人にはそれぞれに目標を所持している。これを”共同幻想”と達観した学者もいる。
 戦後、日本にはこれが根底から消失した。
 当面、アメリカをゴールに設定した。
 復興を果たした、今、振り返れば「さ〜て?!」。
 『不確定性の時代』等と気どってみても、やはり不安は消えることなく付きまとう。

  
「生命というものは、いつもなにかをさがしています。」・・・では、何を求めて突っ走るのだろうか?
 目標はどこに有るのだろうか? 共通する我々の拘りは何か? 
 ・・・・ 苦縁讃
                            -------------------
  1 肩書きへのこだわり ・・・
「中才は肩書きによって現れ   

 大才は肩書きを邪魔にし

      小才は肩書きを汚す」


            ・・・バーナード=ショウ
 
大方の人間は、権力に群がる。

 大部分の者は、地位を与えられるとそれらしく成ってくる。
 確かに、”肩書きによって現れ”る。
  だが、この程度の才では、肩書きが変わるたびに「主張」が 変わる。この程度を「中才」。
  問題は、『迎合』を繰り返し、或いは何かの都合で”功成らずして、肩書きを得る輩が少数であるが居る。こんな上司を戴くと部下は悲惨な思いを抱くことになる。
  大才は、”名”より”実”を尊重する。信望があるが、彼は必ずしも肩書きに拘らない。疎
(うと)ましく思う。
                    ・・・ 苦縁讃

 2 高村光太郎『母をおもう』より ・・・ 立身出世の拘りがあった

立身出世しないおれを
 いつまでも信じきり、

自分の一生の
  望みもすてた
   あの凹んだ眼。

やっとおれのうちの
   上がり段をあがり、
おれの太い腕に
    抱かれたがった
  あの小さなからだ。

そうして
 今死のうという時の
   あの思いがけない
    権威ある変貌。

母を思い出すと
  おれは愚にかえり、
   人生の底が抜けて
    怖いものがなくなる。

どんな事があろうとも
 みんな
死んだ母が
  知っているような気がする。

          ・・・ 高村光太郎『母をおもう』より

                
・・・光太郎は、

母を思い出すとおれは愚にかえり』と、

 そして

怖いものがなくなる』 と、

母親の凹んだ眼の中に”光明”を観ることができた。

仏教では、これを「出世」=”本来の世に出る”という。

想えば、青年期の真っ暗闇の懊悩の中にいる小生に、

さりげなく何気ない祖母の一言が、愚凡の青年の

背中の重荷をす〜と取り去ってくれた。

確か、・・・、

混迷の極みに至ると、女性が本性を発揮した。

十字軍の頃のジャンヌ・ダルクのみではない。

歴史が示すとおりである。

女性は、偉大な”徳”を具えている。

               ・・・苦縁讃 
・・・だが、安岡正篤の「天地有情」黎明書房のなかに、こんな一節があった。

  
影法師
 先夜更
(ふ)けて帰り、わが家の門前に佇(たたず)んで、
 ふと地上にわが影を認めて、月を仰
(あお)ぎながら念頭に思い浮かべた歌・・・
 月見に出ずれば、われ随(したご)うて来(きた)る影法師あり。
(なんじ)はわが影(かげ)なるか、人の影なるか
月見に外に出てみれば 付いて共に動く陰がある。
おい、影法師よ。 お前は本当に私の陰か?
    ・・・管理人意訳

 
と問(と)えば、返したる歌とて
 我がかげを われぞと思ふ 世の人に 
ものいふ
(う)口は もたぬ影法師
誰もが、己に付き従う陰を 疑うことなく”自分”であると思っている    
陰はことばを話さない。 本当に自分なのだろうか? 影法師よ。
    ・・・管理人意訳
   
 
柳里恭の作である。
 その奇警に打たれる。
 いかにも世の人々は、地位だ、財産だ、名声だなどと、思えばわが影にすぎぬものを、これこそ我とばかりに執着している。
 あさはかなことである。・・・・云々
(うんぬん)

 3 武士道に観る ・・・・ 求める「生き方の美学」  

 
さて、西欧の「騎士道」があり、日本には”武士道”がある。・・・
 言わば「男の生き方」である。
 もちろん、家庭には子供の躾
(しつけ)と教育指針があった。・・・・、が、戦後すっかり忘れられた。

 心得のある者は、ほとんどが、戦争で散ってしまったからであろうか???
  
                 *************** *************** ***************
  (1) 『葉隠(はがくれ)聞書』 → 徳川時代の武士道
 「御無理の仰せ付け、又は
 不運にして牢人・切腹仰せ付けられ候とも
 少しも恨
(うら)み奉(つかまつ)らず、一つの御奉公と存じ、
 生々世々
(しょうじょうせぜ)
  御家
(おいえ)を嘆(なげ)き奉る心入れ、
   是
(こ)れ御当家<佐賀藩鍋島家>の侍の本意、
       覚悟の初門にて候」

        ------------------------


 不本意と思われるような命令、或いは不幸に罪人になったり切腹を命ぜられるような事があっても、主君に恨みを抱くことなく、これもご奉公の一端であると心得え、日々活きている限り、ご奉公賜った家の為を思う心構え。
 これは、当家にご奉公した侍の志、ご奉公の前に覚悟すべき、第一の心得である。
   ・・・・ 管理人意訳  
* 初門にて候→ 
 当然の心構え・初級程度の基本的なこと

 御家のため・即ち地域のためならば、「滅私奉公」せよと・・・・。
 これを”
公儀”と言う。
 この心構えが、先ず基本であるというのである。





    「一所懸命」と言う言葉を思い出す。



 今の、役人(公務員)には、このような心は一切無いようである。
 「公務員」とは、何だ????!!!!!

 
「さて気にかなわざることは、いつ迄もいつ迄も訴訟すべし」 
         ----------------------------
 ところで、上司の指示に賛同できないことには、納得のいくまで訴えてその本心をただすべきだ!そして、正しい方向に向かわせるべきである。      ・・・・ 管理人意訳
           *******************
 「主君の御心入を直し、御国家を固め申すが大忠節」  →
 「国家を一人して荷
(にな)ひ申す志」
         -------------------
----------
 正しい方向に向かわしめて、国のためになるように方向付けするのが、本来の”忠節”なのだ・・・
 国を”私”が背負っているという志が必要なのだ

              
    ・・・・ 管理人意訳

・・ お諫め・嘆願
・・正しい方向にむかわしめる









     --------------
 
しかし、左記の如しだ。・・・。
公務員・議員!見習うべし!!


 いま、それが全く消え失せてしまった!
 ◇「事によりては主君の仰せ付けをも、諸人の愛想をも尽くして・・・
    打ち破ってのけねばならぬことあり」
 ○ 主君の命令であっても、「一入
(ひとしお)勇み進み候」 →

         --------------------------
◇ 上司もヒト。間違いはある。事の事情によっては、主人(上司)の指示であっても、立場をわきまえながら、しかし、断固、意見・指示を撥ね退けなくてはならぬ場合もある。
 ○ 上司の命令であっても、
  それは、敢えて主張して本意を全
(まっと)うすべきである。

また、
 ○ 主君から不当な扱いを受けたときに、「面目なき次第」と、
   引き下がるような意気地のない侍では、忠節は保たれない
   ・・・・管理人意訳    
        --------------------------
○ 直属の上司から、あるまじき扱いを受けたときには
   (筋の通った意見が受け入れられなかった時に)、
  「これは失礼を申し上げました。」などと、引き下がる様な意気地のない公務員では、忠節が保たれたとは言えない。

  
 ・・・管理人意訳  





・・ 自己の主張をすべきだ。


     --------------


 昨今の代議士達のふがいなさ・・・!











 国家の10年後よりも、我が身の4年後を・派閥の利害を優先させる。
    ・・・・ 苦縁讃
江戸時代の共通する考え方であった。→ 『御家の強み』と言った。

  * 同様の思想は、『東照宮御遺訓』徳川家康の訓話:
『明訓一斑抄
めいくんいっぱんしょう』 
水戸藩主 徳川斉昭
(なりあき) にも見られる。
今日の組織論としても、注目に値する。
”Yes man”ばかりでは、

永続させることが出来ない。

自立性に満ちた侍。
 ※ ”Yes man”・・・「郷原」    人間学講話「論語の活学」 安岡正篤より
 正直に自分の意見を主張して、論戦したり、反対したり、というようなことは一切しない。自らの見識、信念に従って堂々と行動しない。誰にでも調子を合わせて、自分だけいい子になってゆく人間、つまり世渡りのうまい人間のことを郷原
(きょうげん)と言うのであります。
<略>つまり村や田舎の善人であります。《孔子が言われた、「田舎の善人と言われるものは、・・・あの人は善い人だと評判のよい人間は、上っ面だけ調子を合わせていい子になろうとするから、かえって徳をそこなうものである」と》
 
<略> 『郷原』については『孟子』にくわしく書いてありますが、現代におりますね。政界を見てもその他のどこの分野を見ても、郷原はたくさんおります。心の中ではそうではないと思っておっても、はっきり言わない、調子を合わせる。<略>

 
(2) 『明君家訓』1715年 
      
代将軍 
徳川吉宗のブレイン 室鳩巣(むろうきゅうそう)
         
<明君が家臣に訓話する。>

◇ 「君たる道にたがひ、
   各々の心にそむかん事を朝夕おそれ候、
   某
(それがし)身の行、領国の政(まつりごと)
   諸事大小によらず少しもよろしからぬ儀、
   又は各々の存じ寄りたる儀、
   遠慮なくそのまま申し聞けらるべく候」

 ◇ 「節義の嗜(たしなみ)ともうすは、
   口に偽
(いつわり)りをいはず、
   身に私をかまへず、心すなおにして外にかざりなく、
   作法乱さず、礼儀正しく、上に諂
(へつら)わず、
   下を慢
(あな)どらず、
   をのれが約諾
(やくだく)をたがへず、
   人の患難
(かんなん)を見捨ず、
<中略>

 さて、恥を知て首を刎(くく)らるとも、
  おのれがすまじき事はせず、死すべき場をば一足も引かず、
  常に義理
<武士道上の正義の原則>
  重んじて其の心鉄石のごとく成るものから、
  又穏和慈愛にして物のあはれをしり、
  人に情有るを節義
(せつぎ)の士と申候(もうしそうろう)

◇「惣(そう)じて某(それがし)が心底、
  各々のたてらるる義理
<正義の道理、信念>をも
  まげ候
(そうろう)ても某一人に忠節をいたされ候(そうら)へとは
  努々
(ゆめゆめ)存ぜず候、某に背(そむ)かれ候ても、
  各々の義理さえたがえられず候へば、
  某
(それがし)において珍重存じ候」

                       ・・・ 最後の文
 人材育成は、やはり、学校である。
 学校教育のおおきな問題点。
 課題である。
 改革が急がれる。
 確かな”視座”を持って・・・。
     -----
 左記のことは
 上司になれば、それはタテマエとして、言うことは心得ている。
     -----
 今の進学(受験)の為の教育は、『上手く知ったかぶり』をする術を伝授しているに過ぎない。

 そして
 臆せずに「普通教育」等と公言している。

 だが、今、上司は
 タテマエとしてでも、これを言わない。 言えない。


また、部下は
「遠慮なくそのまま
   申し聞けらるべく候」等と、
良い気になって言うと、報復の処遇が待っていたりする。

昔と今の、人の器の違いである。
 これをちゃんと心得て、静かに穏やかな顔を見せて居れば無難というものである。

これを『因循姑息』という。
   ・・・苦縁讃

(3) 上杉謙信の訓言
心に物なき時は 体胖(ゆたか)なり。
心に堪忍
(かんにん)ある時は 事を調(ちょう)す。
心に我慢(
がまん=慢心)ある時は
     愛敬
(あいけい)を失う。
心に貪
(むさぼ)りなき時は 人に諂(へつら)わず。

心に欲なき時は 義理を行う。
心に迷なき時は 人をとがめず。
心に私なき時は 疑うことなし。
心に誤
(あやまり)なき時は 人を畏(おそ)れず
心に怒
(いかり)なき時は

         
言葉和(やわ)らかなり。
心に曇りなき時は 静かなり。
心に勇ある時は 悔
(く)ゆることなし。
心に驕
(おご)りなき時は 人を敬(うやま)う。
知識とすれば、ごく当たり前のことだ。

何せ、皆、高学歴。

 しかし、一つ一つの実践は、並大抵ではできない。

               ・・・苦縁讃









           





 

 注:  武士道 -------------------
 
『葉隠聞書』は、佐賀藩士・山本常朝が、引退後に若い武士に尋ねられて応え、これを口述したものである。
 矛盾とパラドックスに満ちた文書である。 ・・しかし、その「矛盾」の中に、今、我々は深く思いを巡らし振り返って”社会”・”組織”・”地域”の在り方を示唆するものが在りそうに思う。
「葉隠れ」の思想にはそれがある。


忠義とは何か? 
 
自立的な武士の責任ある決断としての、献身の行為のことを説いている。
 和 を説いている。・・・ 対立よりも調和 を説いている。が、・・・。

 ・・・・ 現代社会に生きている我々がこれらを見ると、一見、違和感さえ在る。・・・・・。だが、我が国は、何かしら、ふわふわと浮かれながら、漂っているような気がして成らない。 だから、冒頭の詩に何故か共感するのである。
 『教育者』として、青年達に対峙し彼らと裸のやりとりをしながら、成長を願うときに、このことは避けられない課題であった。
 及ばずながら、非才ながら・・・・、未来の社会を支える有為な人材を育てようと、真剣に模索してきた。
  ・・・苦縁讃


V 民族の誇りそして”国家”とは何だ
                   ******************
映画 「四季・遊牧」ーツェルゲルの人々ーより

それがどんな「国家」であろうとも
この「地域」の願いを
圧し潰すことはできない。

歴史がどんな人間の思考を
転倒させようとも
人々の思いを
圧し潰すことはできない。

人が大地に生きる限り。
 春の日差しが
人々の思いが
やがて根雪を溶かし
「地域」の一つ一つが花開き、

この地球を覆い尽くすとき
世界は変わる。

 人が大地に生きる限り。



           
小貫雅男
小貫雅男 氏のこと

 @ お住まい
  ”里山研究庵Nomand”・・滋賀県犬上郡多賀町大君ケ畑
(オジカハタ)

 A お仕事
  滋賀県立大学教授 

 B 略 歴
  1935 中国北部(旧満州)に生まれ、11才までモンゴルで育つ。
  大阪外語大学モンゴル語科卒業
  遊牧地域論・モンゴル近代史専攻。
  大阪外語大学教授を経て現在、県立滋賀大学教授。
  著書に「遊牧社会の現代」「菜園家族リボリューション」等

 C 持 論
 今の日本:139、000人が不登校(小・中学生)・・更に増加を嘆く。
 「菜園家族リボリューション」が必要である。

・・・”二日間働いて、5日は農園の生活。家族中心の生活。」を提唱。
  →企業の採用を、今の2.5倍にする。

 
給与は自給自足に合ったように見直せばよいのだ。
 作家は5日間作家活動も良かろう。



                     
 
島国に住む我々日本人は、”国家”と言う言葉があまりに遠い。
 領土は簡単に侵されないからだ。
 勤勉な我が国の努力によって物質的に”豊か”になった。
 諸外国から侮蔑されるようなことはなくなった。
 しかし、時代は静かに変化し大きく胎動を続けている。
 多くの外国人が我が国で必死に働いている。諸外国から多くの物資を安い値段で輸入している。
 ”安い”と思うのは、実は、日本の感覚であって、輸出する諸外国の人々には、決して”安い”という感覚はない。

 食料もどんどんと輸入する。毎日TVでの番組は料理番組。
 『○×の食べ放題。』・『大食い選手権』。・・・・。

 食料の自給率がどんどん下がる。
          
 本当に、これで良いのだろうか?!
 豊かではない国々の人々は、どう見ているだろうか?本心を覗いてみたいものである。

 昔、高校時代、小生は英字新聞で『ペットの誕生祝い』と言って、美味しそうなケーキを食べさせていた写真や、”肥満によい”と称してエンドレスのモーター付きのベルトの上で、歩いている中年女性の写真を見て、青年時代の小生は、腹が立った事を思い出す。

 今、日本がそうしている。・・・・・。そんな生活に、そう言う自分もどっぷりと浸かりきっている。
 (-_-;)
 浮かれている間に、大企業は外資企業に買収されている。
 沈み掛けた自動車会社は、外国の豪腕経営者の力を借りなければ、立ち直りは不可能であった。

 『国歌』は、”君が代”が良いのか悪いのか?!等は、・・・『国家』意識の希薄
(きはく)な連中の、
屁理屈に思われるのは、小生の偏見
(へんけん)か? ともかく、辟易(へきえき)させられる。
                       

 島国に住む我々日本人が、真剣に国際的に通用する見識を得るためには、一体どうすればよいのだろうか??
 日本が、真に国際化する為に、我々はどうにかして意識を変革しなければならないだろう。
 国際化は、実のところ、既に、とっくの昔から始まっているのだ。
                ・・・苦縁讃


W 真の国際化の前に

 1 「21世紀を担う子供たち」・・・・ 藤原正彦氏の講演会ノートより
 藤原正彦 (お茶の水大学理学部教授 日本数学会、アメリカ数学会、日本ペンクラブ会員。東京大学理学部数学科卒)
  (1)「新学習指導要領」の感想を・・
@


 今、知識教育軽視に傾こうとしている。画一的で、有無を言わせずに強制する教育も必要だ。
日本存続の基は、知識教育である。軽視は危機である。

A

 アメリカを初め、先進国は、戦前の日本の教育を真似しだしている。その中で、日本は破綻したアメリカの教育を取り入れようとし、今までの良いところを軽視しようとしている。
B


 ゆとり在る教育、生きる力、個性尊重・・・いずれも美しい言葉である。 しかし、個性尊重が戦後の教育を誤らせた。・・個性尊重を廃語にしないと、ウカレていて何でも子供の思うままに許すことになる。

  そして、


「個性尊重」をと、小学校からパソコン教育 → パソコンを作るヒトがいなくなる。




また、英語教育をと・・ → 国際人がいなくなる。
 (小学校では、ちゃんと日本語教育をして、日本人としてのアイデンティティーを確立させることが重要)


  (2) 
教育に必要な物 → 情緒である
@

情緒力とは・・・・。これは、船頭の方向感覚のような物である。

A


欧米の情緒力=合理的精神に基づく論理
 今までの5世紀の間、欧米の文化に蹂躙されてきた。
(元来、それまでのヨーロッパは「野蛮」な地域であったのだ。)

   その結果  
  核兵器は各国で増加の一途をたどった。
  環境破壊は進む一方である。
  経済不調。犯罪の増加。麻薬。と、近代的合理精神はほころび(破綻)を始めてきて止まらない。
   これは、傲慢な「民主主義」と言う論理である。→ 論理的な合理精神に基づいている。


 
(3)破綻(はたん)の原因なにか?・・・破綻の原因・・この世のことは、論理で説明できないものもある。
@

欧米の論理は、傲慢な欧米型「論理」であった。

A






この世のことは、論理では、説明しきれないものが有るのだ。
  
 しかし、人間の文化には、これでは説明できないものが有る。

   数学では、「真」、「偽」の二つで証明をする学問である。
   しかし、数学の世界でも「真」か「偽」か、だけでは証明できないこともある。

 ○ 戦後、説明できることだけを教えるようになった。
  「人殺しは何故いけないか?」 ・・ そんなことは説明できない。→ ダメなものはダメなのだ。
  「何故、老人を敬わなければならないか?」・・これらものに、「筋の通った論理」はない。

B





論理には必ず「出発点」がある。
 
  Aで有るべきである。 → そのためにはB → C ・・・・・ → Z
        ・・・・と、論理は流れる。

 「出発点」、Aは、「仮説」である。 ・・・・数学の行程はこの仮説から出発して論理を進めてゆく。

 この 「出発点」、A を選択するには、情緒力(宗教性)が必要となる。


C





















だが、論理は長くならない方がよい。
   
○「風が吹くと、桶屋が儲かる」論理は有名。ナンセンスな論理。
         風が吹く → 障子が破れる → ・・ 
  ○ しかし、短すぎると深みに至らないものだ。
   「国際化だから、小学校から英語教育だ」
   「情報化時代だから、小学生にパソコン教育だ」
             等の論理は、その類で、浅薄である。
  小学校の幼年期に必要なことは、「日本人」としての自覚・アイデンティティーだ。
  まず、第一に、国語教育をしなくては成らないのだ。数学教育は、二でもなく第三で良い。

  ○ 「出発点」、A、「仮説」を正しくたてないと、とんでもない方向に論理が進む。
   偏差値の高い利口な者は、論理の過程で間違いが少ない。
   それだけに仮説の立て方が誤っていると、間違った方向に進めてしまうことになる。
   国家の問題となると、これは重要な問題となる。
 (しかし、学問をしていない者の論理は、論理の過程で正しく進めないことが多いので、論理の筋道を誤ることが多い。
 だから、最初の発想が正しくなくても、帰着する結論が好ましい結果に辿り着くと言う、皮肉なこともままある。)

   
以上の、四つの理由で欧米型思考(論理的な思考)は破綻を始めている。しかし、

4)日本人の情緒力(感性)はすばらしい。日本の文字はすばらしい。
@














岡 潔(天才的な数学者)は、留学後、しばらく数学の研究をしないで、「奥の細道」を研究
   その後で、すばらしい数学的な発見。


 
美しいものに感動する情緒(力)が、独創性を生む。
 
・・・・。アンドレイ・フェルマーは、長年世界の数学者が証明できなかった「フェルマンの予想」を解くことができた。
 これは、数学界の偉大な業績であった。
 この、「フェルマンの予想」を解く作業の基本的な根幹となる論理は、過去の多くの研究成果の基礎の上に立ったものであったことは言うまでもない。
 根幹となった数学研究の論理は、イギリス人学者とそのほか6人の日本人学者の仮説組み立ての発想による貢献が大きかった。
   ○ 独走力が「自信」を持たせる。
   ○「自然」などへの、美的感受性の鋭さが大切。 → 郷土愛・家族の絆
   ○ 論理・発想の違い
     「親を泣かせるから、万引きしない」   → 家族の絆に基ずく ・・ 治安を保持
     「法律違反だから、万引きしない」  二つの間には、「論理」の違いが明白である。

A


「武士道精神」は、本当に大切だった。 誠実で卑怯な行為を嫌った。
   これを単純に解釈し、忘れた結果、他国に「侵略」のための戦争を行った。

B


「伝統への畏怖」を教えることが重要である。

   
「改革」と「改善」を、混同していないか?(日本人は何事も極端に偏った判断を下しやすい。)

C



発達段階に合わせて、すべき時にすべきことをさせることは重要だ。
 若年の天才と言われた女子。飛び級・飛び級で十代で大学院卒業。現在、27歳になろうと思うが、卒業後、今は唯の数学者。「独創力」に欠けるか?

D


国際的に「特殊」なものが、むしろ「普遍」なのである。

  
日本の「親孝行」・「武士道精神」等・・・・。

E







真の国際人とは
  
日本人として、自信を持って日本独特のものを守ることが、国際人・日本として重要。
 ○ 「ものの哀れ」 ・・ 欧米の人間は、「虫の音」を「ノイズ」感覚で捉えている。
  自己を隠したり、捨てたりして、外国に妥協し合わせても、それは国際人とは言えないのだ。
 ○ 国際社会というコンサート。
   ビオラはビオラらしく。太鼓は太鼓らしい音を出さないと、コンサートに参加できない。

(5) 「保身」の論理=利害得失の思考に直結しない発想。
   
利害得失から離れた思考によって、人間としてのスケールを大きくするのである。
   企業・役所における利害得失の論理は、結局、詰まるところ「保身」の論理である。

(6) 人間の賢さは、蓄積しない。=賢さを、歴史から学ぶ。

   
「二度と戦争はしない」賢さを、歴史から学び、各時代ごとに発想の確認をすることが重要である。
                         真:蓮・佐藤光史写真展より  http://www001.upp.so-net.ne.jp/koshisato/

 2 『学び』について

   
(1)「道」について
     唐時代の禅の巨匠である南泉と趙州との間の、「道」についての問答

趙州「道とはどういうものですか」       
南泉「平常心是道
(へいじょうしんこれみち)」                          
趙州「道はどこにあるかと探しにゆくことができますか」
南泉「どこかに、と探しにゆくと道にそむくよ」           
趙州「でも探してみなけりゃわからないじゃありませんか」
南泉「道は、知と不知
(ふち)とに属せず。知は妄覚(もうかく)、不知はこれ無記」
   
注:「天地悠久の真理、実相というものは、 人間の小さな分別の及ぶところではない。
  もし、それを認識にのぼせることができた としたら、それは妄覚にすぎないんだよ」


          ******

 
今、日本は、「道」を希求する意欲が、・・、そんな真摯な意識はあるのだろうか?
 これは、それが在っての、議論である。問答である。
 「何を学ぶか?」の前に、「何を感性として受け止めるか?」が、基本だとおもうのである。
 ・・苦縁讃

 『知は妄覚』のたとえ
として、笑い話のような話であるが、こんな話がある。

信州の山の中で生涯を炭焼きで過ごしている人と、佐渡の海で毎日漁をして暮らしている人が、浅草の観音さまのお詣りをし、たまたま一つの宿をとった。
 太陽はどこから出るかという話になり、
    
山で暮らしている人は山から出て山に入るといってゆずらない。
    海で暮らしている人は海から出て海に入るといってきかない。
    宿の番頭に仲裁を頼んだら「屋根から出て屋根に入る」と言ったという。
 部分としては間違いない。しかし全体としては間違っている。
 われわれがどんなにさか立ちして天地宇宙の真実の姿をまさぐってみても、自分の持ち合わせている知識、経験、モノサシの寸法の範囲内でしか、受け止めることができないのだ、という自覚がなければならないと言うのである。・・・・・・  それが「知は妄覚」と否定し去るお言葉の心であろう。
     
『仏の生命を生死する』 道元禅師に学ぶ  大法輪 第69巻  26ページ  青山俊薫(愛知専門尼僧堂堂主)
 島の中に生きている日本人には、現状がよく見えていない。しかし、もっともっと静かに周囲を観て、”痛み”を共感しなくてはいけないのだ。
 青年達は病んでいる。昔は、学生は純粋に国家を考えた。学生運動は、うさんくさい雑音であったが、青年期の純な訴えであった。
 いま、そんな元気もない。
 大人は、呑んで、居酒屋で愚痴を言うだけで終わらないで、・・・・、真剣に答えを出さなくてはならないのだ。
 『国家』『教育』『政治』等々・・・・。
  訪問者の貴方は、どう思いますか? 何か、すべき事がありそうです。
  苦縁讃

 (2) 教えること
 @ 「正師に遇わざれば学ばざるにしかず」  ・・・道元
              
 道元は、師と弟子の関係を大工と材木にたとえ、

 
「節だらけの曲がった材木でも、
 目のある腕のある大工に出会うことができたら曲がりを生かし、節を生かしてくれる。
 逆に目のない大工に出会ったら、たとえすばらしい材料であっても台なしにされてしまう。
 ちょうどそのように、よき人生の師に出会うことができなかったら、むしろ学ばないほうがよい。
 一生台無しにされてしまうから。」
 と、おおせられた。 

          ・・・
 「択法覚支」(『正法眼蔵』  三十七品 菩提分法)のことか?


        『仏の生命を生死する』  道元禅師に学ぶ  大法輪 第69巻  27ページ 青山俊薫(愛知専門尼僧堂堂主)
                  
 A 教え方  言志四録(四) 「言志耋(てつ)録  2 教(おしえ)に三あり」 
                                                  佐藤一斎 著   川上正光訳注 
 (おしえ)に三等有り。
 心教
(しんきょう)は化(か)なり。
 躬教
(きゅうきょう)は迹(せき)なり。
 言教
(げんきょう)は則(すなわ)ち言(げん)に資(し)す。
 孔子曰
(いわ)く、「予(よ)(い)う無(な)からんと欲(ほっ)す」と。
 蓋
(けだ)し心教(しんきょう)を以(もっ)て尚(しょう)と為(な)すなり。

 教。有三等。心教。化也。躬教。迹也。言教。則資於言矣。孔子曰。予欲無言。蓋以心教為尚也。

【訳文】
 教えに三つの段階がある。
 第一の心教は別段の方法手段をとらず師によって自然に教化することである。
 第二の躬教
(きゅうきょう)は、師の行為の跡を真似させる教えである。
 第三の言教は、師が言葉で説き諭して導く教えで、言葉を方法としている。
 ところで、孔子様は「自分は言葉で説き諭すということはしないようにしたい」といった。
       思うにこのことは、心教を最も高貴な教えとしていたのであろう。

 
○ 心教:心を持って心に接し、自然に感化する教え。
 ○ 躬教:師が模範を示し、その迹を追うように教えるもの。
 ○   資於言:言葉をとり用いて方法とすること。
 ○   尚:高尚、とおとしとも読む。
【付記】
 「教化」という言葉は、中国や日本では見られるが、西洋にはこの言葉に適応する言葉がないそうである。言葉がないということは、そういう概念がないことである。
 即ち西洋の教えは主に知識を教えるものであるのに対して、この化は道徳的に感化して行くものである。
 儒教でも仏教でも、徳をもって人を善に導くことを化導(けどう)といい、教化する人を能化(のうけ)、教えられる人を所化(しょけ)という。心の教えというのは、この中心でなければならない。
                 
 B 学び   「言志四録(四) 言志耋録 2 経書を読むは我が心を読むなり」
                       佐藤一斎 著   川上正光訳注
 経書を読むは、即(すなわ)ち我が心を読むなり。認めて外物(がいぶつ)と做(な)すこと勿(なか)れ。
   我が心を読むは、即ち天
(てん)を読むなり。認めて人心(じんしん)と做(な)すこと勿(なか)れ。
 読経書。即読我心也。勿認做外物。読我心。即読天也。勿認做人心。
【訳文】
 聖賢の書かれた経書
(けいしょ)を読むと言うことは、実は自分の本心を読むと言うことである。
 決して、自分の本心以外のものと見てはいけない。
 そして自分の心を読むと言うことは、天地宇宙の真理を読むと言うことである。
 決して他人の心のことだなどと思ってはいけない。

【付記1】
 本文は一斎先生が八十歳を超してからの感想である。経書を読んでこれは自分の心と同じだと感ずるような人は相当立派な人物であろう。経書とは、世界の名著と考えてよいであろうが、こういう書物を読んで、自分では気づかなかった貴重な真理を感得すれば、それで十分であるといってもよいのではなかろうか。本を読むなら「よい本なんか読むな。最良の本を読め。」といわれる所以
(ゆえん)である。

【付記2】
 吉田松陰はその著『講孟余語』の劈頭(へきとう)に置いて、「経書を読むの第一義は、聖賢に阿(おもね)らぬこと要
(かなめ)なり。若(も)し少しにても阿る所あれば、道明らかならず、学ぶとも益なくして害あり」と述べている。立派な見識である。
                                     
  C 学びの心得  言志四録(四) 「言志耋録 14 学問を始める時の心得」
                   佐藤一斎 著   川上正光訳注
 凡そ学を為(な)すの初めは、必(かなら)ず大人(たいじん)たらんと欲する志(こころざし)を立てて、然(しか)る後に、書は読む可(べ)きなり。
 然
(しか)らずして、徒(いたず)らに聞見(ぶんけん)を貧(むさぼ)るのみならば、則(すなわ)ち或(あるい)は恐(おそ)る、傲(おごり)を長じ非(ひ)を飾(かざ)らんことを。
 謂
(い)わゆる「寇に兵を仮(か)し。盗に糧(かて)を資するなり。」虞(うれ)う可(べ)し。

 凡為学之初。必立欲為大人之志。然後書可読也。不然。徒貧聞見而已。則或恐長傲飾非。所謂仮寇兵。資盗糧也。可虞。

【訳文】
 学問を始めるには、必ず立派な人物になろうとする志を立て、それから書物を読むべきである。
 そうでなくて、ただいたずらに、自己の見聞を広め、知識を増すためにのみ学問をすると、その結果傲慢な人間になったり、悪事をごまかすためになったりする心配がある。
 こういうことであれば「敵に武器を貸し、盗人に食物を与える」という類
(たぐい)であって、実に恐るべきことである。

【付記】・・・本文と同一趣旨のもの
自警   足代弘訓(江戸時代後期の国学者、歌人、伊勢神宮神官)

  一、 人をあざむくために学問すべからず
  一、 人とあらそうために学問すべからず
    一、 人をそしるために学問すべからず
  一、 人を馬鹿にするために学問すべからず
  一、 人の邪魔をするために学問すべからず
  一、 人に自慢するために学問すべからず
  一、 名を売るために学問すべからず
  一、 利をむさぼる学問すべからず

 なお、三浦梅園は次のように言っている。
  一、学問は飯と心得べし、腹に入れるためのものなり。
             掛物のように人に見せんがためにあらず。
  一、学問の置き所により善悪に別れる。臍の下よし。鼻の先わるし。等々。
    
「教員」「教師」「教育公務員」の皆様、”教育者”としての研鑽を・・!!
 教育は、国家百年の大事業と心得るべし。                
 ・・苦縁讃

                
 
 ☆ 学識と見識 ☆
 
「人間は才知・学識というものがすぐれておっても、正しい価値判断、すなわち見識が無くては天下のことは片づかないと思います。
 識には単なる知識と、見識の二つがあって、知識は我々の理解力・思考力・記憶力というような、頭脳の機械的な作用であって、具体的に申しますと、学校で先生の講義を聴くとか、本を読むとか、その他いろいろな手段によって取得できるものであります。
 これは馬鹿でない限り、また怠け者でない限り、いくらでも取得できる。
 しかし、いくら知識を取得しても見識にはなりません。
 見識は高級な判断力であります。それではどうして見識を養うかというと、やはり人世の体験を積んで、人生の深い理法、道というものがわからないと得られません。」
                           

 「見識は才学より上であることはお言葉のとおりです。
 人間の才というものは機械的なものであり、学もまた機械的なものであります。
 学校に入って一定の年限を終え、試験に合格して資格を得ると、誰でも学士になれます。
 しかし、見識というものはそういうものではありません、はるかにその上のものであります。
 もっとも同じ見識があるといっても、「識・天分に得るあり・・・」で、生まれつき勝れておって、見識のある人もあれば、正しい意味の学問によって見識のできた人もあって、決して一様ではありません。
 ことに生まれつき天分が優れて見識があり、そのうえ学問をした人・・これは滅多にありませんが・・この人には百千年にわたる大事なことを相談してよろしい。天分が足らずようやく学問によって見識を得たという人は、どうかすると、判断に偏るところがあるものです。」
                           「偉大なる対話」安岡正篤 著 より
                               

 3 「感性」をアイヌのこころから学ぶ ・・・・・ アイヌ音楽家  アトゥイ氏に学ぶ。
 
北海道在住。 「神ありて我あり 我ありてかみあり」   アイヌ音楽家  アトゥイ:海の意
-------------
 
屈斜路湖湖畔にライブイン経営&ライブコンサート。子供12人と共に、19時からライブコンサート開始。
 アイヌ詞曲舞踊団 「モシリ(大地・空間)」

                 曲:カムイトゥラノ=(神々と共に自然と共に)
 神々よ   大地よ           
   美しき大地よ アイヌの同胞よ 大地と共に   
 日本人よ  大地と共に        

     
ウ 〜  ホィ ホィ             
 アイヌの同胞よ  日本人よともに起ち上がれ
________
アトゥイ氏に聴く   NHK「こころの時代」                             
 (1) 「立派な大人になれ。」 :方法は自分で探せ・雲や小鳥の歌を聴け 
子供の頃、祖母に言われた 「大きくなったら 
人間を二つ重ねて呼んでもらえるような立派な大人になれよ。」と、 
<人間を二つ重ねて呼んでもらえるような=アイヌ・ネノアン・アイヌ 人間らしい人間>
アトゥイ氏:どうしたら、そうできるの?? → 「自分の心を揺らすことだ!」 
アトゥイ氏:その、方法は?  →  「自分で探せ」・「雲や小鳥の歌を聴け」
--------------
 (2) 「おはよう」「こんにちは」「こんばんわ」の挨拶の言葉感性の呼びかけ
                              
イランカラプテ
アイヌの挨拶には、「おはよう」「こんにちは」「こんばんわ」は、無い。              
「イランカラプテ」 貴方の心にそっと触れさせて頂きます。
答えて:  互いの心にそっとふれあいましょう!

 
”感性の呼びかけ”が、そこにはある。

--------------
 (3) 「今、危急の時だ!」という。 ・・・さて、では本来の”哲学”とは・・ 
「危急の時である。現代人は集団自殺に向かって突き進んでいる。」
「一杯の水を飲んでいても: 有り難いと思う心が無くなった。」
「勉強しなくても良い。・・・感じ合えばよい。」
「互いに刺激し合って自らを育てる。そして、自らの個の確立した哲学を構築すること。」
「己の感性を、自分で築く。これを互いに尊重し合う。」
          「これらは、人間が幸せになるためにとても重要な仕事である。」

「異なる世界は美しい。感性は美しい。」
「異なる価値観の美しさを発見する旅が、21世紀だ。」


これが哲学の心だ。

     
潜んで、仕舞い込んでしまっている感性を、もう一度呼び出そうではありませんか?! 苦縁讃

 
X 宗教について

 
「宗教は心がきれいになるために聞くんじゃない。

        汚い自分に気づかせていただくために聞くのじゃ」
        米沢英雄
 一流の音楽・絵画・骨董・書・詩などは人々を虜にする。つまり真も善も美も、あらゆる制約を飛び越して人々を真理の世界に浸らせ、同時に、陶酔させ耽溺させる狂気性を秘めている。
 それ以上に、仏教もキリスト教もイスラム教も、いや、あらゆる宗教は人々を陶酔させ、禊(みそ)がせ、そして本来正常なる自性に回帰せしめ、その奥底に輝く不滅の真理へ昇華させようとする。そうした意味では、真そのものもまた狂気性を避けては通れない。それゆえ、宗教的心情は狂気性を秘めつつ、人々を覚醒させ、不滅の真理に向けて邁進していくものだ。
 ギリシャのパルメデニスやアリストテレス、あるいは近代におけるカントやヘーゲルによって理論化された理性、それは近現代を貫く原理であるかのような理性である。とはいえ、「理性の全貌
(ぜんぼう)」はそのままが真ではない。
 理性には限界がある。人間を理性と良心で語り尽くすことはまったく不可能である。であるがゆえに、人間をトータルに把握した、真なるものを映発した世界観・価値観を、いま的確に提示することが、二十一世紀の主要なテーマの一つとして求められているのだ。

      「まほろば」の循環史観」  四天王寺国際仏教大学教授・弁護士  中島尚志   月刊誌「MOKU 7 2004.JUL.」 95頁  


























仏教の伝来 については,次の”庵-10” 「聖徳太子」のところで思索することにする。・・が、・・・

 
「十七条の憲法」の第二条には、実に徹底した仏教の奨励が盛り込まれている。
                       
 ・・・ 「日本精神通義」 安岡正篤 エモーチオ21
第 二 条 (あつく)く三宝(さんぽう)を敬え。
三宝とは仏法僧なり。
(すなわ)ち四生(ししょう)の終帰(しゅうき)、万国の極宗(ごくそう)なり。
何の世、何の人かこの法を貴ばざる。
人、尤
(はなは)だ悪しきもの鮮(すくな)し。
(よ)く教うれば之に従う。それ三宝に帰せずんば、
何を以てか枉
(まが)れるを直さん。

   
@ 三宝とは、仏・法・僧のこと。               
A 四生とは、胎生(人畜)、卵生(鳥類)、         
湿生(虫類)、化生
けしょう(変化へんげ類)のこと。
 
聖徳太子は、また、天皇の御前において、勝鬘経や法華経を御進講になり、次いで、勝鬘経疏(しょうまんきょうしょ)、維摩経疏(ゆいまきょうしょ)、法華経疏と三経義疏を著した。
 この仏教御帰依は後世になって一派の非難するところとなり、十七条の憲法にも仏教を奨励して、神祇
(しんぎ)におよばれぬことや、蘇我馬子に対する態度などを挙げて、不忠の表すらあったのであるが、・・ 中略 ・・  神祇については決して閑却(かんきゃく)したのではない。
 それどころか、、憲法発布の後三年、天皇は・・・
 『朕(ちん)聞く、曩昔(むかし)我が皇祖天皇の世を宰(さい)したまうや、天に跼(きょく)し、地に蹐(せき)して、敦く神祇(しんぎ)を礼(うやま)い、周く山川を祠り、幽(はるか)に乾坤(けんこん)に通わす。是(ここ)を以て陰陽開和し、造化ともに調(ととの)いたりと。
 今朕の世に当たって、神祇
(しんぎ)を祭祀すること豈(あ)に怠るべけんや。
 故に群臣宜しく相共に心を竭
(つく)して以て神祇(しんぎ)を拝すべし。』と、
 
「太子及び群臣を率いて、厚く天神(てんしん)地祇(ちぎ)を祀っている。
 思想信仰の問題というものは、誠に微妙な、注意すべき大事であって、仏教の急激な興隆なども、確かに調子に乗って、とんでもないところに逸れかねぬ危険性が充分にあったのである。 (中略) このような危険も日本は何の苦もなく祓いのけていっているところに真に神ながらの国体ということを痛感させられるではないか。」
   ・・・ 「日本精神通義」 安岡正篤 エモーチオ21
さて、・・・・


 「オウムはなぜ狂ったか」 - 「化城」を「最終解脱」と勘違いした麻原の未練 -           
四天王寺国際仏教大学教授・弁護士 中島尚志
 宗教者と信者、哲学者との違い
 宗教者と他の諸々の分野、ことに哲学や心理学などとを区別するはっきりした徴憑(ちょうひょう)は「来世」と言う言葉の中にある。不思議なことだが、宗教者は「来世」があるとの体験を経たとき初めて宗教者としての動きを始めることができる。
 ブッダ、キリスト、ムハンマドにしても、日本の著名な先覚者のいずれもそのような体験をしている。
 もちろん、来世があるなどという体験は、現実に来世があるということとは別問題だ。現代風にいえば「来世」があるなどという体験は、精神異常とも評価すべき幻想的な体験でさえあろう。
 ただ、哲学者とか小説・詩・評論など他の分野の人々と宗教者とどこが違うのか問われれば、この一点に収斂
(しゅうれん)される。
  哲学者や小説書きは、来世があるなどとの体験が無くても生業
(なりわい)として成り立つ(現実に倉橋由美子さんは、死後の世界をまったく信じていないとしつつ、死後、別の世界に移転するとの仮説の下で、『老人のための残酷童話』を昨年上梓した)。
  しかし、宗教者は「来世」の存在体験を経なければ宗教者としての己を全うできない。正確に言えば、入り口に立つことができない。
 どの宗教の教義が正しいか正しくないかなどという視点からする論議は、宗教者の扱う領域としては重要だ。
  しかし宗教者にとってはほとんど不毛だ。さらに加えると、誰(教祖)の教えが信じられるかという視点から入ってくる人は、その宗教の信者ではあるが、「宗教者」ではない。このことは決して宗教者を特別視するものではないが。
                    中略 
 ☆ 求道者が陥る「化城」

   

 
座禅・唱題などの修行をしているとわかることだが、先ず修行に専念していると光明に包まれてきて、崇高といってよい至福の感情に満たされること、それが繰り返し表れてくると、ふと、自分がいわゆる「悟り」、「解脱」の世界に入ったかのような幻想に陥ることがある。
 しかもこの現象は古人が開発し、次世代に伝えた一定の儀式を行えば、ほぼ誰にでも現れることである。他方、修行者は「これらの現象」をひとつの狂気として、ある種の精神の障害として、切り捨てていかなければならないのである。
 悟っても悟っても、なおその場所を「化城」として空無化し、道を求めるものとしての自分に対する手綱を緩めないことが求められているのである。 

 麻原は、いわばこの「化城」のひとつに嵌り込んだということだ。
 ブッダやイエス、ムハンマドと麻原との間に違いがあるとすればこの点だ。

 ブッダを例にしつつこの点にもう少し触れておく。
 かつてブッダ釈尊が、修行をしていたときに最初にぶつかったこの狂気の地平は、かねてから仏教学者の間で「無所有の境地
(私有の思いを否定し、超えること)」と呼ばれてきた。
 平たくいえば、我執を離れた境地のことだ。ブッダはこれを最終の解脱の境地ではないとし、その境地に満足しなかった。ブッダはさらに進めて「非想非非想の境地(何事かに思い囚われるということでもなく、思い囚われないということ出もない境地。要するに何事にも囚われないという境地)」にも到達している。
 やや荒っぽいが麻原流にいえば「聖無頓着
(せいむとんじゃく)」の地平である。
 ブッダは、この境地も否定した。そしてさらに歩みを進めるのである。

 
ブッダがその後、一応満足した境地を後世の私たちは「悟り」とも「解脱」とも読んでいるが、それは他の生き物に対する「悲」を伴う境地でもあった。
 それはいかなる存在・出来事に対しても「恐怖」を抱かない状態と表裏している。この時、ブッダは過去世を知り、現在に降り立った
。  ・・・ 以下略   
                            
 

 「ご案内」